
こんにちは!桟橋の金具です。
私達親は「子育て」と聞くと、
「ちゃんと教えなければ。育てなければ」と思いがちです。
あいさつができるように。
人に優しくできるように。
自分で考えて行動できるように。
どれも、子どもを大切に思うからこその願いですよね。
けど、本当に子育てって、親が子どもに何かを教えるだけのものなんだろうか?
子どもに伝えている言葉が、そのまま自分にも当てはまることはありませんか。
「人の話は最後まで聞こうね」と言いながら、子どもの話を途中で遮ってしまう。
「失敗しても大丈夫」と励ましながら、自分の失敗には必要以上に落ち込んでしまう。
そんな場面を考えると、親もまだまだ学んでいる途中なんだな、と思います。
そこで大切にしたいのが、今日のテーマです。
【「教育」とは「共育」である】
ここでいう「共育」とは、子どもを育てながら、親も一緒に育っていくという考え方です。
「もっと立派な親になろう」と、自分を追い込むための言葉ではありません。
「親だって、子どもと一緒に学んでいい」と考えるための言葉です。
今回は、この「共育」について、私なりに掘り下げてみたいと思います。
【子どもは親の言葉だけでなく「生き方」も見て育つ】
子どもに「ありがとうを言おうね」と伝えることは大切です。
でも、それと同じくらい大切にしたいのが、親自身が感謝を言葉にすること。
ご飯を作ってくれた家族に「ありがとう」。
お店で対応してくれた人に「ありがとうございます」。
子どもが手伝ってくれた時にも「助かったよ、ありがとう」。
こうした何気ない場面にも、子どもに伝えられることがあると思うんです。
反対に、「人には優しくしなさい」と言いながら、身近な人にきつい言い方をしていたら、子どもは戸惑うかもしれません。
もちろん、親が感謝を伝えていれば、子どもも必ず同じように行動する、というわけではありません。
子どもには子どもの性格や気持ちがあり、家庭の外で経験することもあります。
だから、子どもの振る舞いをすべて親の責任にする必要はないと思います。
ただ、何かを教えたくなった時に、
「自分は普段、どうしているだろう?」と振り返ることはできる。
子どもに求めていることを、自分も大切にできているだろうか。
できていないなら、今日から一緒にやってみようか。
そんな姿勢も「共育」の一つです。
【育てているようで、育てられている】
子どもと暮らしていると、思い通りにいかない場面があります。
出かける時間なのに、なかなか準備が進まない。
何度言っても、片づけをしない。
よかれと思って声をかけたのに、反発されてしまう。
んな時、「どうして分かってくれないんだろう」と、子どもに目が向きがちです。
でも、少し落ち着いてから、自分にも目を向けてみる。
「今、何に一番イライラしていたんだろう?」
「時間に遅れそうで焦っていたのかな?」
「一度言えばできるはずだと思っていたのかな?」
「疲れていて、待つ余裕がなかったのかな?」
こうして考えると、子どもの行動だけでなく、
自分の期待や余裕のなさが関わっていることもあります。
だからといって、「怒った自分が悪い」と責めたいわけではありません。
焦っていたなら、次は少し早めに声をかける。
伝わっていなかったなら、言い方を変えてみる。
疲れているなら、周りに助けを求める。
自分の状態に気づけると、次の関わり方を考えられるんです。
子どもに忍耐を教えようとして、自分の「待つ力」が問われる。
気持ちを言葉にするよう伝えながら、自分もその難しさに気づく。
育てているつもりが、自分にも学ぶことがある。
子育てには、そんな場面があるのだと思います。
【「できない」の前に、その子なりの理由を考える】
大人から見ると、簡単に思えることがあります。
「片づければいいだけでしょ」
「分からないなら聞けばいいのに」
「先にやっておけば困らなかったのに」
でも、子どもは大人と同じ経験をしてきたわけではありません。
例えば、「部屋を片づけて」と言われても、何から始めればいいか分からないのかもしれない。
質問したくても、「こんなことを聞いたら怒られるかな」と迷っているのかもしれない。
同じ「やっていない」でも、理由は一つとは限らないんですよね。
そんな時には、
「なんでできないの?」と問い詰める前に、
「どこで困ってる?」と聞いてみる。
片づけなら、「まずは床の本を棚に戻そうか」と、取りかかりやすい形にしてみる。
親が子どもの様子を知って、伝え方を変える。
子どもは、助けを借りながらできることを増やしていく。
子どもだけに変化を求めず、親も関わり方を見直していく。
これも、共に育つということなのだと思います。
【正解を与えるより「一緒に考える時間」をつくる】
子どもが困っていると、つい答えを教えたくなります。
その方が早いですし、失敗せずに済むようにも思えます。
でも、親がいつも先に答えを出していたら、子ども自身が考えたり、試したりする時間は少なくなってしまいます。
例えば、宿題を始める時間が遅くなり、寝る前に慌てているとします。
「だから先にやりなさいって言ったでしょ!」と言いたくなる場面ですよね。
そんな時、落ち着いて話せるタイミングで、こんなふうに聞いてみるのはどうでしょう。
「今日は、どの辺で時間が足りなくなった?」
「明日はどうしたら、もう少し楽にできそう?」
「帰ってすぐやるのと、おやつの後にやるのなら、どっちがよさそう?」
ここで気をつけたいのは、親が決めた答えを言わせるための質問にしないこと。
「どう思う?」と聞きながら、違う答えが返ってくるたびに否定していたら、子どもも自分の考えを話しにくいですよね。
うまくいきそうなら、まずは子どもの案を試してみる。
うまくいかなかったら、「じゃあ、次はどうしようか」と考え直す。
もちろん、年齢や状況によっては、選択肢を出したり、一緒に手を動かしたりする助けも必要です。
危険なことは、大人が止めなければいけません。
一緒に考えることは、すべてを子ども任せにすることではない。
必要な支えをしながら、子どもが考える余地を残すことなのだと思います。
【「共育」とは、親子の信頼関係を育てること】
共に育つためには、親も子も、自分の気持ちや考えを話せる関係でありたいですよね。
そのために、親がいつも正しく、完璧である必要はないと思っています。
間違ってしまったら「ごめん」と謝る。
分からないことは「分からないから、一緒に調べよう」と言う。
疲れた時には「少し休んでから話を聞かせて」と伝える。
例えば、子どもの話を聞かずに強く叱ってしまったなら、
「さっきは、話を最後まで聞かずに怒ってごめん。何があったのか、もう一度聞かせて」
と伝えてみる。
謝ることと、必要なルールを伝えることは、両立すると思うんです。
「言い方はよくなかった。でも、人をたたくことは止めようね」と、分けて話してもいい。
大切なのは、親の立場を守るために間違いを押し通すより、相手にどう向き合うかではないでしょうか。
ただし、「ありのままを見せる」といっても、感情をそのままぶつけたり、子どもに親の機嫌を直してもらったりすることとは違います。
「疲れているから、少し休むね」と、自分の状態と対処を伝える。
休んだら、「待ってくれてありがとう。さっきの話を聞かせて」と戻ってくる。
そんな関わりを、私は大切にしたいです。
【今日からできる「共育」の小さな一歩】
ここまで読んで、「気をつけることが多いな」と感じた方もいるかもしれません。
でも、一度に全部変えなくていいと思うんです。
今日、子どもの話を一つ、最後まで聞いてみる。
何かをしてくれたら、「ありがとう」を言葉にする。
強く言いすぎたことが気になっているなら、短くても謝ってみる。
まずは、それくらいのことから。
そして、振り返る時には、できなかったことばかりを数えないようにしたいですね。
「今日は一度、子どもの考えを聞けた」
「言いすぎたけど、後から話し直せた」
そういう小さな変化も、大切な一歩です。
忙しくて余裕がない日もあります。
その日は無理をせず、休んだり、家族や周りの人に頼ったりしていい。
子どもと共に育つためにも、親自身のゆとりを大切にしたいと思います。
【まとめ|親も、子どもと一緒に育っていい】
「教育ではなく、共育である」
この言葉の中には、子どもの成長を支えながら、親も自分の考え方や関わり方を見直していく、という意味があります。
- 子どもに伝えたいことを、自分も日々の行動で大切にする。
- 思い通りにいかない時、自分の気持ちや期待にも目を向ける。
- 答えを急いで教える前に、一緒に考える時間をつくる。
- 間違えた時には謝り、話し直せる関係を育てる。
親になったからといって、急に何でも分かるようになるわけではありません。
子どもが初めて経験することに、親も初めて向き合っている。
だから、迷いながら、少しずつ学んでいけばいいのだと思います。
「ちゃんと育てなきゃ」だけでなく、「一緒に育っていこう」。
そんな気持ちで、今日も子どもと向き合っていきたいですね♪
子育ての悩み、一人で抱えていませんか?
「頭では分かっていても、つい強く言ってしまう」
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そんな気持ちを、一人で抱えていませんか?
私も、3人の子どもを育てながら、迷い、学んでいる父親です。
ココナラでは、子育てのお悩みをお聞きしています。
気持ちや状況を一緒に整理しながら、ご家庭に合った関わり方を考えていきませんか。
うまく話そうとしなくても大丈夫です。
「ちょっと聞いてほしい」という時にも、気軽にお話しくださいね。

