〜息子の一言から気づいた、家族を支える思いやり〜

「ママはさ、いつもソファでダラダラしてるくせに、俺たちにはダラダラするなって言うよね」
ある日、長男が珍しく愚痴をこぼしました。
その言葉に私はつい笑ってしまいましたが、内心では複雑な感情が湧いていました。
もちろん息子に悪気はないと思います。
それに「ダラダラしていた」というのもの事実でしょう。
けれど、その言葉の奥には「ママが楽をしている」という印象が、見え隠れしているように感じました。
当たり前の裏側には、誰かの思いやりがある
妻は365日家族のために動いています。
食事の準備や洗濯・掃除。
買い物に幼稚園や習い事の送迎、子供の具合が悪くなれば、病院へ連れて行ったり。
挙げようと思えばもっと出てくるでしょう。
ほんの少し、ソファでスマホを触っていたり、ゲームをしたとしても、
それは“ようやくできた“数少ない自分のための時間なんです。
だけど、それを見た子供は「ダラダラしている」と受け取ってしまう。
家事の大半が“見えない労働“だからこそ、切り取られた一場面が“全体像“になってしまう。
そして、そんな“見えない努力“が、家庭の「当たり前」を支えているんです。
妻も「母親の役割」として割り切っている。だけど・・・
私自身、妻が家事を担ってくれていることを当然のことだ!とは、思ってはいません。
ですが、妻自身は「母親なんだから、私がやるべきこと」と思っている部分があると思います。
なぜなら、一度も「あなたもやってよ!!」なんてことを言われたことがないからです。
“自分の役割“として割り切っているからこそ、誰に言われなくてもやっているのだと。
それでも、時折機嫌が悪くなり、家事に手をつけないことがあるのはなぜだろう??
きっとそれは、「大変さを理解されていない」と感じた時や、やりたくないけど誰かに頼れない時。なのではないでしょうか?
「ありがとう」がなかったり。
「今日は俺がやろうか?」とも言われない。
“やって当然“と扱われることは、知らず知らずのうちに妻の心を削っていくことになるんです。
正解はなくても、声を聞くことはできる
私は、家事について世の中の考えが間違っているとは思っていません。
ただ、全ての家庭、全ての人が同じ価値観ではない。
だからこそ、
お互いの家事に対する価値観を擦り合わせる必要があるんです。
「私が家事を頑張るから、お父ちゃんは仕事頑張って」と言ってくれた妻。
その言葉に甘えて、私は仕事を理由に家庭での役割を避けてきたところがあります。
でも、家事をしたくない日もあるだろうし、嫌いな家事だってある。
私が仕事に行きたくないと思う日があるのと同じように・・・。
家族への貢献度を可視化してみた
さて、どうやって子供達に妻の大変さを伝えようか・・・。
よりわかりやすく、子供でも納得できように伝えるため、家族全員の1日のスケジュール表を作り、「可視化」してみました。
起床から就寝まで、どんな行動をしているのか?
そして、その行動が“誰のため“の行動なのかを色分けしてみたのです。
すると、当然のことですがあることに気づきます。
「妻の行動のほとんどが、家族のため」
だということに。
そして、家族全員の“当たり前“が妻の思いやりで支えられているということに。
子供たちに伝えたいこと
私がこの記事で1番伝えたいのは、
「ママがしていることは当たり前じゃない」
「毎日の“当たり前“は、ママの“思いやり“が積み重なってできている」
「だから、ちゃんと“ありがとう“って言おう」
まとめ
“当たり前“という言葉には、優しさがない。
いや、あるのに感じることが難しい。
当たり前と言う言葉に置き換えられてしまった誰かの努力や気持ちを、見落とさないようにしたいですね。
そして、家族みんなが、
「手伝うよ!」「いつもありがとう!」
と、声を掛け合える家庭でありたい。
そんな家庭が一つでも多くなれば幸いです!
思いやりの“可視化“。
ぜひご家庭で試してみて下さい!